2021.03.29
ここを去ること遠からず〜何処にいても秋田はいつもそばに
成田 竜也(なりた たつや)
[秋田市観光クチコミ大使]
株式会社東日本メモリアルサービス
代表取締役
形式よりも、まず気持ち
秋田への想いを語ると止まらなくなります。故に仲間から「まだ始まったな、おめど(あなた)話してれば明後日なってしまうな」と呆れられる始末。秋田から東京に住み早22年が経過しましたが、何処へ行っても誰とでも通じる範囲で秋田弁で話します。秋田県内の方からも「本当に東京に住んでいるのですか?」と奇異の目で見られます。上京当初は無理して標準語を話していたため、自分を表現できずコミュニケーションを取るのに難儀したことを鮮明に覚えています。都会になじめる柄じゃなかったんです。東京にいる自分と、帰省した時の自分はまるで別人なのです。
31歳で企業したのを機に、「俺は俺だ、気持ちを伝えることが第一だ」と割り切り、秋田弁のおかげで自分を表現できるようになりました。今では「秋田県がやってきた、秋田=成田さん」と言われ、多少なりとも秋田を売り込んでいると自負しております。
子供たちに誇れる秋田を、語り継ぐ仕組みを
首都圏には、郷土愛を醸成するために活動している親睦団体は130ほどあります。横浜秋田県人会は設立100年、首都圏秋田県人連合会は設立から67年の歴史があり、今のように交通手段、打つ新手段が発達していない中で秋田を想う・秋田人同士で絆を深め合う唯一の手段が県人会だったのです。
そんな首都圏には「秋田にゆかりの遺跡」が随所に点在しています。ゆかりの見所として、上野寛永寺の境内に「了翁堂と禅師塔碑」、「経蔵と勧学屋」があった不忍池などがあり、「佐竹義隆寄進銅灯篭」は上野東照宮の境内に、成田為三の「かなりやの歌碑」は上野公園と、この界隈だけでもこれだけの秋田発見の旅ができるのです。昨年4月には、上野寛永寺でふるさとを語り継ぐ集いとあきた人合同慰霊祭を開催することにしておりましたが、新型コロナウイルスの影響で延期いたしました。開催の目的は、自分のルーツを再認識することと、その時代を全力で生き抜いた先人達を知り、折に触れた子供達に「それぞれの秋田」を語り継ぐことは帰属意識の希薄化が進んでいる現代において、身近にできる秋田貢献ではないかと思い至ったからです。
生まれ故郷に帰るお手伝いをしています
首都圏在住秋田人の最期のお手伝いをさせていただくことがあります。その内容は十人十色、問題解決の方法も様々、ですが秋田への想いは一緒なのです。「お骨になったら、秋田の墓さ埋葬してけれ」これが本音なのですね。ある方は生まれ育った町へ、ある方は秋田の思い出の地へ。実は、秋田へ埋葬することは永続的な関係人口創出につながります。先祖を思い出し、ルーツに思いを馳せ、埋葬の地に手を合わせに行くことは人間の本能だと思うのです。気持ちがあればふるさとは消えない。「死んだらそれで終わり」も結構ですが、当社はルーツという切り口で秋田とつながりのある人を増やす取り組みを始めています。秋田と首都圏の双方向でのサポート、他業界との連携と共生、これによりこれまでの予想をはるかに超える秋田人のお手伝いをさせていただきました。「東京であんだ(あなた)の秋田弁聞いて、それだけで安堵した」これは相談者の感想です。立派な会社案内も流暢な説明もいらない。「難儀であったすなぁ、何があったら俺さ話っこしてください」この一言で通じ合えるのです。
2つの感謝
両親に感謝、目に見えない先祖への感謝の心がなければ、秋田への真の恩返しはできないと思っています。生きている時間は限られています。その時間を大切に日々精励恪勤いたす所存でございます。
おらの生まれ育った秋田、最高だす!
略歴
1977年 秋田県(鷹巣町)生まれ
1995年 秋田県立鷹巣高等学校 卒業
2011年 株式会社東日本メモリアルサービス 設立
2018年 ふるさとを語り継ぐ集い実行委員長
現在に至る